リディメイツのメンバー!

RIDDIMATES
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黒須遊 Cross You
 Tenor Sax , Vocal , Total Produce
 1980年7月18日美空ひばりと沖縄を愛する元劇団員(ぶどうの会)の母、美代子と学生運動が生き甲斐だった元優等生、アルコール依存症、躁鬱病の父、康則(R.I.P.)との間に自然分娩にて産まれる。自然食の為三歳にして初めて肉を食した時は、机の上に立ち箸を握り締め、両手を挙げウォー!!!! と叫び、小学校六年間、皆は給食のところ「玄米弁当」を持っていき、六年間全て半ズボンで過ごすようなやんちゃ小僧で、先生の言う事を聞かずよく怒られ、デッカイ「ものさし」で尻をひっぱたかれて育つ。 音楽 は子供の頃、沖縄へ良く連れて行かれた事によって、暖かい国で産まれた音楽、沖縄民謡やJAMAICAN MUSICはもとより、BRASILやCUBA、AFRICAなど南国の暖かい音楽を好むようになる。そしてひょんな事からSTEPBYSTEP結成前に現役高校2年生として加入、自分の居場所を探しながら、アルバムなど音源を何枚か残す。
その後RIDDIMATESと言う自分の居場所を見つけ、新しい音楽を、自分が生きている事を実感する為、日々模索し、instrumental(歌の無い音楽)など BRASS MUZIC を中心に「吹きすぎ位がちょうどいい」を合言葉にし、自分の生み出すものに自信を持って、楽しみながら、楽しませる音楽やパフォーマンスを目指している。 これからも、「ものさし」では計りきれない、ものさしでひっぱたかれるような人でありたい。


RIDDIMATES incのメンバー

RIDDIMATES
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 RIDDIMATES inc. ■ Yo-Hey / Organ , E.piano , Clavinet , Chorus ■
 1980年4月25日埼玉春日部だか江戸川の橋の下だかNYゲットーだかにて生まれる。有力候補は橋の下。幼少の頃よく聞いていたのはSteely Danで、今でもダンチョ先生は心のバイブル。音楽に目覚めたのは中学生のころGUITARを始めてから、もっぱら「The Ventures」や「Deep Purple」、「Brian Setzer」にはまる、その後「THE BEATLES」を聞くようになり「Let It Be」のPIANOに痺れる。高校に入り17歳頃から独学でPIANOを弾くようになる、GUITARも弾いていたが次第にPIANOの魅力にはまり、初めてKEYBOARDを買ったのは21歳、Jordan Rudessに憧れKurzweil2500を購入、当時50万近くした。その後、すし職人なる為2年間くらい修行(笑)この頃はまったく音楽やっていない。そんな中R&Bなど歌物、とくにBLACK MUSICなどを聞くようになり黒人のグルーヴに痺れ音楽再開。様々な音楽活動の中、高校の同級生 だった黒須遊に声をかけられ参加。RIDDIMATESにアーバンな風を吹き込む。

RIDDIMATESのJACKIE MITTOO!もっさい髭のわりにいい男、顔でソロ弾かせたら日本一のOrgan奏者、FUNKY&MELLOW。

RIDDIMATES
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RIDDIMATES inc. ■ Moto Demura / Bass ■
高校教諭の父、小学校教諭の母のもとに生まれる。両親の影響により小~中~高と特にぐれもせず真面目に育つ反面、アウトサイダー的な人格も徐々に形成されてくるがまだ無自覚で自分は世の中に適応していけるのだと思っていた。ただ学生生活にはすでに適応しきれず、理想の世の中を大人の社会に求めていた。高校卒業後一浪するも、社会に羽ばたくが波にのまれ理想が崩壊、不適応者となる。1年ほど田舎でくすぶりつつも自己を再生していく。この頃、自分を癒してくれたのが「THE SPECIALS」の音楽だった。そしてまた東京へ、第2の社会は前ほど荒波ではなかった。それとも自分の適応力があがったのか。そんな穏やかな環境の中ぬくぬくと自由を満喫しはじめ、SKAバンド「PEZSTOMP」にて黒須遊と知り合う。徐々に色んな音楽を聴き、その後「PEZSTOMP」脱退、暫く音楽を忘れる。この頃メキメキと自分の中に何かが育つ。アウトサイダー的なもの、もっとわけの解らないもの、未だに育っているがなんなのかは解らない。そして現在「RIDDIMATES」と出会い運命的なものを感じる。
仏のモトだがたまに悪モトさんになる、そのほがらかな性格とは裏腹にうねるグルーヴは日々進化。MAD TEMPOのベースライン必聴です。

RIDDIMATES
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 RIDDIMATES inc. ■ Sadabon : Drums , Percussion ■
 1979年12月13日誕生。幼い頃は静かで全く手のかからない子であり、いつもお人形さんで遊んでいたのでよく女の子と間違われたとの事。(母親談)幼少からお人形さんと音楽が大好きだった少年はついに中学時代、クラスメイトとバンド活動を開始する。人生初のLIVEは14歳。DRUMを初めてまだ半年だった。中学卒業後、何を血迷ったのか男子校に入学。「男ならROCK!」という男社会の根拠のない洗脳を受け継ぎ、Mr.BIG,Halloween,Green Day等、様々なバンドをコピーし、青春時代をROCKに捧げる。常に3~4つのバンドを掛け持ち、高校時代だけでもコピーした楽曲は軽く数百曲を超える。大学進学後はJAZZ、GOSPEL、POPS、ROCK等、活動の幅を広げ、上智大学JAZZ研究会部長を勤める。気になった事は何でもやってみなきゃ気が済まない、好きになった事は何でも極めないと気が済まない。頑固で強情な歩くドラマーsadabonはこれからもRIDDIMATESと共に歩んで行く。

RIDDIMATESの核となるリズムの土台。キレのある、ブレないドラミング!ハイハット、スネア、バスドラ!自由なリズム遊び。

RIDDIMATES
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RIDDIMATES inc. ■ Buchi / Trumpet , Gadget ■
 ROLLING STONES派の母とTHE BEATLES派の父の間に生まれる。小学校5年で母に勧められ、嫌々ながらも金管バンドに入る。テレビ番組「タモリの音楽は世界だ」でTOKYO SKA PARADISE ORCHESTRAを見て「吹奏楽=女の子」の イメージが吹っ飛ぶと同時に、SKAの魅力に取り付かれる。中学に念願のTOKYO SKA PARADISE ORCHESTRAのLIVEへ、チケットは最前列前座のBLACK BOTTOM BRASS BANDでK.O.される。当時はROCKABILLY文化が盛んで(北関東限定?)学校の校内放送でOLDIESやSTRAY CATS、SCOOTERSなどがかかり、休み時間は皆、廊下で踊っていた。吹奏楽部ではTRUMPETの練習もせずに、弾けもしないウッドベースをくるくる回し、担当の女子に怒られる。悔しいのでエレキベースを買い、練習しユニコーンのコピーバンドを結成。高校で組んだバンドではDRUMを担当するも友達にSKAを進めるが撃沈。BOΦWYとブルーハーツ以外のビジュアル系は原曲を知らずにDRUMを叩く。高校を2年で辞め上京、音楽の専門学校でミキシングを勉強。友達の誘いでSKA PUNKバンドにTRUMPETで加入し、1枚のALBUMで脱退。その後AUTHENTIC SKA BAND「JOYRIDE」に加入、その頃「STEPBYSTEP」の辻&黒須に出会い、今に至る。
 コショウ少々の味付けをサンプラーなどで、TPは最近ソロを任せようかと鍛錬中、今後の伸びしろに期待大。


RIDDIMATES
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 RIDDIMATES inc. ■ 朝AJ潤一郎 / GUITAR■
 1972年8月23日ラガーメンの檜舞台、花園ラグビー場と中小企業の職人の技術の粋を集めた人工衛星『まいど1号』の街、大阪府東大阪にて誕生。幼少期は国道大渋滞を引き起こすほどのやんちゃ振りを発揮するも、小学校低学年時には一転漫画を読みふける内向的な時期も過ごす。10歳の頃に友人の勧めで聴いたセックスピストルズの騒音に衝撃を受けるが何も起こらず、中学入学に至るまでの間はアイドル雑誌『明星』を眺めつつ歌謡曲をむさぼり聴く毎日。思春期を迎える頃にようやくプレ第2次バンドブーム世代の音楽に触れて大感銘を受けるが、最も敬愛していたのはとんねるずにダウンタウンであった。高校入学と同時に世の中はバンドブームに突入し、突発的にエレキギターを入手。元気ハツラツにして多感なAJ少年はモテたいが為だけに真剣にギターと格闘(主に鏡の前でのポージング)し、ライブ活動(主にナンパ)に精を出す高校生活を過ごす。ところが卒業を機に人が変わったかのように音楽に打ち込み始め、更なる音楽的発展を求めて23歳の夏に上京を決意し音楽活動を本格化。以来幾つかのバンドを渡り歩き、漂流し、流れ着いたのがRIDDIMATESである。ラーメン二郎をこよなく愛し、あの半端ない怪物を日々の労働に対するご褒美とし、誰ともつるまずに店先に一時間並ぶハードボイルドな一面を併せ持ち、その指から放たれる音色はどことなくニンニクと似た癖になる音、だったら良いなぁと日々精進していたりいなかったり。